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遺言書の効力と認知症との関係性
認知症の人がのこした遺言書の効力は、遺言能力の有無によって判断されます。遺言能力のない人によって書かれた遺言は無効となりますが、医師から認知症の診断を受けたからといって常に遺言が無効になるわけではありません。
遺言能力とは、遺言の内容を理解し、その遺言によってどのような結果が生じるかを理解できる能力のことです。「遺言能力あり」と判断された場合、認知症の人が書いた遺言書でも有効となります。
遺言能力の判断基準
遺言能力の有無を判断する明確な基準はなく、認知症の度合いや遺言の内容、対象となる財産の種類など、個別の事情を考慮して判断されます。
比較的少額の預金の分配に関する遺言であれば、高度な判断能力は必要とされませんが、事業承継や収益不動産などの複雑な財産を扱う場合、ある程度高い判断能力が必要です。また、遺言者側の事情として、遺言をのこした当時の本人による言動と遺言の内容が一致しているかという点も判断材料になります。
有効と判断されるケース
認知症の疑いがあり、長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)の点数が低くても、以下のような状況では遺言能力が認められる可能性が高くなります。
- 遺言の内容が単純であり、遺言者の過去の発言とも一致している
- 財産分配が遺言者との関係性を反映している(長年介護した子に相続させるなど)
- 遺言作成時に基本的な意思疎通が可能であった
HDS-Rの点数が15点程度であっても、会話に対する理解が良好な場合は遺言能力が認められやすくなります。また、遺言者が財産の管理に関与していたり、特定の相続人に対する感情を明確に表現できる場合も、遺言能力は認められやすいでしょう。HDS-Rについては後述で詳しく解説します。
無効と判断されるケース
一方、以下のような状況では、遺言能力が否定される可能性が高くなります。
- 財産の内容や遺言作成の事実自体を理解できない
- 遺言内容が不自然(不平等な分配で理由も不明確など)
- 遺言作成時に強い誘導や不当な影響が疑われる
たとえば、複数の不動産や金融資産を細かく分配するような複雑な内容であれば、遺言者にそれなりに高い判断能力がないと遺言能力が認められません。また、遺言の内容が遺言者の過去の言動や家族関係と矛盾する場合や、特定の相続人による不当な影響が疑われる場合も、遺言能力が否定される要因となります。
認知症の時期によって有効・無効は異なる
認知症をどの時点で発症したのかというタイミングなども、遺言能力の有無に影響を与えます。ここでは認知症の発症と遺言書作成の前後関係が遺言能力に与える影響や医師の診断書がない場合、「まだら認知症」の取り扱いなどについて解説します。
認知症の診断が出る前に書かれた遺言書
一般的には認知症の診断が出る前に書かれた遺言書は、遺言能力が認められやすいといえます。ただし、遺言書の作成が認知症診断前であっても、必ず有効になるわけではありません。
たとえば、遺言作成から認知症診断までの期間が短い場合、遺言作成時も認知症の症状による影響があったと考えられ、遺言内容や効果を理解できていなかったと推測される可能性が高まります。これにより、遺言能力が欠如していたと認定されて遺言が無効となることもあります。
このように、診断書が出された時期だけでなく、年齢や健康状態、遺言書を書いた前後の行動・言動などの事情を考慮し、総合的に遺言書の有効・無効を判断します。
認知症と思われるが診断書がない遺言書
医師の診断書の有無は遺言能力を判断する一要素に過ぎないため、診断書がないからといって直ちに遺言能力があると判断されるわけではありません。
たとえば、医師の診断書がなくても介護事業者のサービス提供記録や病院の診療記録などから、認知症の症状を判断することが可能です。また、本人の日記や身近な人の話なども判断材料になるため、診断書がなくても認知症と判断されることはあります。
遺言能力の有無は、遺言の内容や遺言者の行動、周囲の証言など、さまざまな要素を総合的に考慮して判断されます。そのため、診断書の有無だけでなく、遺言作成時の状況や遺言の合理性なども重要な判断基準となります。
まだら認知症の状態で執筆された遺言書
まだら認知症とは、症状に波があり、時間帯や状況によって能力が変動する認知症のことです。一般的な認知症とは異なり、本人が症状を自覚している場合があること、脳の損傷部位によっては歩行障害や手足のしびれといった身体症状を伴う場合があることなどが特徴です。
まだら認知症の症状としては、家族の名前を思い出せないのに難解な専門書は理解できる、朝は身繕いができなかったのに夜には問題なく行えるといったようなケースがあります。
まだら認知症の場合も通常の認知症と同じく、遺言能力があるかどうかは遺言の内容、遺言者の行動・言動、遺言書作成の前後の状況、その内容に合理性があるかなどを総合的に考慮して判断します。
認知症の人が執筆した遺言書の裁判例
遺言書の効力について争った、実際の裁判例を紹介します。どのような事例において遺言が有効になるのか、また無効になるのか、それぞれ実際の事例をみて参考にしましょう。
有効となった事例(平成13年10月10日京都地方裁判所)
この事案は遺言者の遠い親戚にあたる人物(以下、「A」という)に不動産を含めた財産を譲った遺言の遺言能力が争われ、有効と判断されたケースです。
遺言者は以前に脳梗塞を罹患したことがあったことに加え、慢性心不全の急性増悪などにより自宅で倒れて病院に入院し、治療を受けていました。その際に書かれた遺言の遺言能力が争われます。遺言者については、以下のような認知症が疑われる言動・行動があったという事実が認定されています。
- 看護師が訪床した際、笑っていたり涙を流したり情緒が不安定
- おむつを自分で取って尿失禁などの不潔行為が見られた
- 暴力行為や妄想、意味不明の発語があった
- ベッドや床にごみやティッシュペーパーを散らかした
一方、遺言者とAは昔から親交があり、歳を取ってからも医療や介護の支援をし、深い付き合いがありました。また、公正証書遺言の作成時、遺言者は遺言の内容に関して正しく理解していた様子が見受けられました。
以上のような事情から、裁判所は「遺言能力あり」と認定し、当該遺言書は有効と判断されました。
無効となった事例(平成14年12月11日名古屋高等裁判所)
無効となった事案では、主に以下の点が重要な判断材料となりました。
- 79歳という高齢で認知症を発症
- ゆっくりとした進行と症状の固定
- 病識の欠如
- 老人性認知症との診断
特に遺言書作成前後の状況が重視され、強度な人物誤認や見当識障害、自らの意思を通すことの困難さ、そして遺言書作成後の誤った発言などが指摘されています。
そして、医師の診断も重要な判断材料となりました。医師は中等度の認知症あるいは重度に近いアルツハイマー型認知症と診断し、遺言者の状態を不可逆的な知能・認知障害と捉えています。さらに、以下のように遺言者の理解能力の欠如が指摘されました。
- 財産の現状や分配対象者などの基礎事実を十分に把握できていない
- 注意力の散漫さと思考の雑然さ
- 本人の意思表現の欠如と誘導されやすい状態
以上のような事情を総合的に考慮し、裁判所は遺言能力がなかったと結論付けました。
認知症が疑われる遺言書で相続が難しい場合
認知症が疑われ、遺言に沿った相続では納得が得られない場合の対処法を解説します。対処法としては、遺産分割協議と遺言無効訴訟の2つがあるので、それぞれどのように対処すればよいかを解説します。
遺産分割協議で話し合う
遺言書がのこされている場合でも、遺産分割協議で相続人全員の同意があれば遺言書の内容とは異なる遺産分割を行うことが可能です。これは、遺言書作成の主な目的が相続人間の紛争予防にあるため、相続人全員が同意すれば遺言の内容を変更しても問題ないとされるためです。
ただし、相続人以外の受遺者(以後によって財産を受け取った者)がいる場合、相続人全員の同意があっても遺言と異なる遺産分割ができません。この場合、遺言と異なる遺産分割をするには、受遺者が遺贈を放棄する必要があります。
また、遺言執行者がいる場合、遺言執行者の同意が必要であることにも留意しておきましょう。
遺言無効確認訴訟を提起する
協議で話がつかない場合、裁判所に訴えを提起して遺言無効訴訟で争うこともできます。遺言無効訴訟によって無効判決がでれば、遺言の効力を否定することができます。
遺言の無効事由はいくつかありますが、認知症が疑われるケースにおいて遺言が無効となるのは、「認知症によって遺言能力がない」と判断されるケースです。これまで説明してきたとおり、遺言能力の有無はさまざまな事情を考慮して総合的に判断されるので、請求が認容されるためには有力な証拠をできるだけ多く集めて裁判官を説得することが重要です。
遺言無効訴訟で勝訴すれば遺言は無効となるので、揉めごとになって協議で折り合いが付かない場合に有効な解決手段となります。ただし、遺言無効訴訟は1年以上かかる場合も多いため、訴訟提起をする場合にはある程度の日数がかかることを覚悟しなければなりません。
認知症の症状の度合いを測る方法
もし生前時に認知症になった人に対して、事前に遺言能力の有無を確認したいと考えている場合は、長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)を用いるのが一般的です。HDS-Rは9つの評価項目にわかれた設問があり、30点満点で認知機能障害の有無を測定します。
質問項目は決まっており、採点方法も公開されているので、専門的な知識がなくてもテストを実践できます。テストの結果、合計点数が20点以下の場合は認知症の疑いがあり、点数が低ければ低いほど認知症の症状が重度であると評価されます。
HDS-Rを行ううえでの注意点
HDS-Rは認知症の度合いを測るテストとして広く認知されていますが、万能な診断方法ではないことに留意が必要です。たとえば、体調や精神状態によってテストの結果が変化する場合があります。また、記憶障害以外の症状が主となる特定のタイプの認知症では、初期段階でHDS-Rの得点が高くなる場合があります。これは、HDS-Rが主に記憶に関する項目で構成されているためです。
そのため、遺言能力の評価においてはこのような医学的指標の特性を理解したうえで判断することが重要です。 HDS-Rの結果だけでなく、ほかの症状や日常生活の様子なども含め、総合的に判断する必要があります。
法的に有効な遺言書の作成方法は司法書士にご相談を
認知症の人の遺言能力は、症状の程度や遺言内容の複雑さなどから総合的に判断されます。HDS-Rなどの検査結果も参考になりますが、1つの要因ですべてが決まるわけではありません。
遺言書が無効と疑われる場合、遺産分割協議や遺言無効確認訴訟という選択肢があります。裁判例では、認知症の診断があっても遺言能力が認められるケースもあれば、症状や周囲の状況から無効と判断されるケースもあります。
こうした複雑な遺言問題には、専門家のサポートが不可欠です。当事務所の経験豊富な司法書士が、個々の状況に応じた適切な法的支援を提供いたします。遺言や相続に関するお悩みがあれば、ぜひお気軽にご相談ください。