相続放棄は原則として取消し不可
一度手続が完了した相続放棄は、原則として取消すことができません。放棄したことによって相続人の変更などといった事由を、あとから覆すことは法的安定性を著しく損なう結果となるためです。
しかし、特定の条件を満たす場合には例外的に取消しが認められるケースもあります。また、取消し以外の方法として撤回や取下げがあり、それぞれの詳細については後述で解説します。
手続の種類 | 適用条件の可否 |
---|---|
撤回 | 不可 |
取消し | 原則不可(取消しに値する事由がある場合) |
取下げ | 可能(申述が受理される前まで) |
申述が受理される前なら取下げ可能
相続放棄の申述が家庭裁判所で受理される前であれば、後述の家事審判手続法に基づき、申述を取下げることが可能です。通常、申述から受理までには1週間から1か月程度の期間があります。その間に「取下書」を家庭裁判所に提出することで、相続放棄の手続を取りやめることができるのです。
迷ったら熟慮期間の延長を検討する
相続放棄をするかどうか迷っている場合は、熟慮期間の伸長(延長)の申し立てを検討しましょう。申し立ては、相続開始を知った日から3か月以内に家庭裁判所で手続する必要があります。
上記手続が完了する期間は通常1か月から3か月程度で、伸長が認められるのは、財産調査に時間がかかる・相続人同士での話し合いが必要などといったやむを得ない理由があるときに限られます。伸長された期間中は預貯金や不動産、借金などの財産調査を徹底的に行ったり、専門家に相談するなどして慎重に判断するようにしましょう。
撤回・取消し・取下げの違いを理解しよう
相続放棄の効果を消滅させる方法には、撤回・取消し・取下げの3つがあり、それぞれ法的な意味が異なります。それぞれの法的な効果を押さえつつ、各取り扱いを確認しておきましょう。
「撤回」とは将来に向けて効力を失わせる
撤回とは、有効に成立している法律行為の効力を、将来に向かって消滅させる意思表示のことです。相続放棄については、有効に受理されたものにつき、民法919条1項で明確に撤回が禁止されています。
第九百十九条
相続の承認及び放棄は、第九百十五条第一項の期間内でも、撤回することができない。
ほかの法律行為、たとえば遺言や贈与では撤回が認められる場合がありますが、相続放棄は一度なされると確定的な効果が生じます。撤回を認めてしまうと、次順位の相続人の権利や債権者の利益を害する恐れがあるため、民法は特に厳格な規定を設けているのです。
「取消し」とは過去に遡って効力を失わせる
取消しとは、いったん有効に成立した法律行為の効力を、遡って失わせることです。相続放棄の場合、申述が受理された時点に立ち戻って、相続放棄がなかったものとして扱われます。つまり、相続権が復活することになります。相続放棄の取消しは、一般的な取引や親族関係に関する規定に従って判断することになると定められています。
第九百十九条
2 前項の規定は、第一編(総則)及び前編(親族)の規定により相続の承認又は放棄の取消しをすることを妨げない。
注意したいのは、放棄後に取消しが認められたとしても、すでにほかの相続人によって行われた遺産分割などの法律行為まで、無効になるわけではないということです。取消し後に相続財産を受け取るには、改めて遺産分割協議などが必要となる点には注意が必要です。
「取下げ」とは受理前の手続を止める
取下げとは、家庭裁判所で進行中の相続放棄の手続を中止させることです。家事事件手続法82条によれば、相続放棄の申述が受理される前なら、いつでも取下げできます。取下げ後は、相続放棄の申述自体がなかったものとして扱われ、相続人としての地位は継続します。
第8款82条
家事審判の申立ては、特別の定めがある場合を除き、審判があるまで、その全部又は一部を取り下げることができる。
※引用:家事事件手続法|法令リード
取下げを行う場合は、すでに述べた通り、取下書を家庭裁判所に提出します。取下げ後は、改めて相続放棄をする、もしくは単純承認(財産の承継を受け入れること)や限定承認(利益になる財産を限度として債務を承継すること)をするといった選択が可能となります。
相続放棄が取消しできる具体的なケース
相続放棄の取消し(最初から効果がなかったものとする手続)ができるのは、放棄の手続にあたって詐欺・脅迫や相続財産について誤解があった場合などといった事由があるときに限られます。具体的には、次のような場合が該当します。
詐欺や強迫による相続放棄の場合
民法総則に基づき、ほかの相続人などから脅迫や詐欺的な行為を受けて相続放棄した場合は、取消しが認められる理由となります。たとえば、「相続放棄しないと家族に危害を加える」などと脅されて相続放棄をした場合や、「被相続人には多額の借金がある」という虚偽の情報で騙されて相続放棄した場合が該当します。
このような場合、脅迫や詐欺の事実を証明できれば、相続放棄を取消すことができます。ただし、立証は容易ではないため、可能な限り証拠となる書面やメッセージ、録音などを保存しておくことが重要です。
重大な錯誤による相続放棄の場合
相続財産について重大な誤解があった場合も、相続放棄の取消しが認められる可能性があります。たとえば、「借金しかない」と思い込んで相続放棄したものの、後から多額の預金が見つかったような場合です。
ただし、単なる思い込みや軽率な判断による相続放棄は取消しの対象とはなりません。取消しが認められるためには、その錯誤が相続放棄の意思決定に重大な影響を与えたことや、相続人が十分な調査を行うなど重大な過失がなかったことを証明する必要があります。具体的には、多額の借金があると思い込むきっかけになった連絡のやりとりの写しや、調査に利用した資料(銀行から取寄せた取引履歴など)を用意します。
本人の意思に基づかない相続放棄の場合
本人が知らないうちに勝手に相続放棄の手続がなされていた場合も、取消しが認められます。典型的なケースとしては、ほかの相続人が無断で書類を作成して申述を行った場合や、印鑑を無断で使用して手続が行われた場合などが挙げられます。
このような不正な相続放棄が発覚した場合は、まず書類の偽造や無断使用の事実を立証する必要があります。印鑑登録証明書の取得記録や、本人が別の場所にいたことを示す証拠などが重要となります。
制限行為能力者が単独で相続放棄した場合
制限行為能力者とは、未成年者や、認知症やそのほかの障害の影響によって成年後見制度による保護を受けている人を指します。該当する人が法定代理人などの同意を得ずに単独で行った法律行為は取消しが可能で、相続放棄も例外ではありません。
たとえば、後見開始の審判によって被後見人となった場合は、成年後見人や特別代理人を介さずに行った相続放棄を取消せます。未成年者についても、親権者や特別代理人による手続でない場合は取消し可能です。
取消し手続と期限について
相続放棄の取消しが認められる場合でも、期限内に適切な手続を行わなければなりません。取消しの期限を過ぎてしまうと、たとえ取消しが認められるべき事由があったとしても、もう取消すことはできなくなってしまいます。ここでは、取消しの期限と具体的な手続方法について解説します。
取消しができる期限
相続放棄の取消しには、2つの期限が設けられています。1つは「追認をすることができるときから6か月以内」、もう1つは「相続放棄のときから10年以内」です。追認できるときとは、取消しの原因となった状況が解消され、かつ取消しができることを知った時点を指します。
たとえば、脅迫により相続放棄した場合は脅迫状態から解放され取消しできることを知ったときから6か月、詐欺の場合は詐欺であることを知ったときから6か月となります。いずれの場合も、相続放棄から10年を超えると取消権は消滅するので注意が必要です。
第九百十九条
3 前項の取消権は、追認をすることができる時から六箇月間行使しないときは、時効によって消滅する。相続の承認又は放棄の時から十年を経過したときも、同様とする。
相続放棄取消しの手続方法
相続放棄の取消しは、家庭裁判所での申述が必要です。申述には「相続放棄取消申述書」のほか、戸籍謄本や取消しの理由を証明する資料などの提出が求められます。必要書類は裁判所によって異なる場合があるため、事前に確認することをおすすめします。
相続放棄を取消すための書類(一例)
- 相続放棄取消申述書
- 申述人の戸籍謄本
- 被相続人の除籍謄本または住民票の除票
- 相続放棄の申述の際に提出したそのほかの戸籍謄本
- 取消しの原因となる事由を立証する資料、上申書など
書類審査では、取消原因の存在について厳格な審査が行われます。場合によっては、裁判所から質問書が送られてきたり、呼び出しを受けて事情を説明する必要があります。このため、取消しの手続は司法書士などの専門家に依頼するのがベターです。
第九百十九条
4 第二項の規定により限定承認又は相続の放棄の取消しをしようとする者は、その旨を家庭裁判所に申述しなければならない。
取消し後に必要な対応
相続放棄の取消しが認められた場合、改めて相続人としての権利と義務が発生します。しかし、取消し後にすぐ単純承認を選択するのは危険です。相続財産の状況が変化している可能性もあるため、慎重な対応が求められます。ここでは、相続放棄の取消し後に必要となる具体的な対応について解説します。
相続財産を再調査する
まず優先すべきは、相続財産の徹底的な再調査です。預貯金については、被相続人が取引していた金融機関に対して、相続人であることを示す戸籍謄本などを添えて残高証明書を請求します。不動産は法務局で登記事項証明書を取得し、所有権や抵当権の設定状況を確認します。
負債については、債権者からの請求書や被相続人の手元にある契約書類を確認するほか、信用情報機関に照会することで借り入れ状況を把握できる場合もあります。これらの調査結果は財産目録としてまとめ、プラスの財産とマイナスの財産を明確にしておきましょう。調査が難しい場合は、弁護士や司法書士への依頼も検討すべきです。
ほかの相続人と状況共有する
相続放棄の取消しにより、すでに進行していた相続手続に影響が出る可能性があります。そのため、速やかにほかの相続人に状況を説明し、情報を共有する必要があります。共有すべき情報には、取消しの事実、財産調査の結果、今後の方針などが含まれます。
相続人との連絡は、書面や電子メールなど、記録が残る方法で行うことが望ましいでしょう。また、トラブル防止のため、一方的な通知だけでなく、それぞれの意見も聞く機会を設けることが大切です。必要に応じて専門家を交えた話し合いの場を設定するなど、丁寧な協議の進め方を心がけましょう。
必要に応じて限定承認を検討する
相続財産の調査結果によっては、限定承認を検討する価値があります。相続したプラスの財産の範囲内で、マイナスの財産を相続できる制度です。債務が財産を上回る可能性がある場合でも、プラスの財産は相続できるというメリットがあります。
一方で、申し立ての期限が相続開始を知ったときから3か月以内と短く、相続人全員の同意が必要というデメリットもあります。取消し後の限定承認は、取消しの事由によって認められるかどうかが変わってくるため、専門家に相談しながら検討を進めることが賢明です。手続にあたっては、家庭裁判所への申し立てや、債権者への公告なども必要となります。
相続放棄の取消しは慎重な判断と専門家への相談を
相続放棄の取消しは、原則として認められない難しい手続です。ただし、制限行為能力者本人による放棄や詐欺・強迫によるものなど、限定的な場合には取消しが認められる可能性があります。取消しができる場合でも、追認できるときから6か月以内、相続放棄から10年以内という期限があり、取消し後は改めて相続財産の調査やほかの相続人との調整が必要となります。
当事務所では、相続放棄とその取消しに関する無料相談を承っています。相続放棄を検討されている方はもちろん、すでに相続放棄をしたものの取消しを考えている方も、一度ご相談ください。早い段階での専門家への相談が、より良い解決への近道となります。