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生前の相続放棄はできない
相続放棄は、被相続人の死後に行う手続であり、生前のうちに行うことは認められていません。まずは、相続放棄の効果や、なぜ前もって行えないのかを整理します。
相続放棄とは
相続放棄とは、亡くなった人に属する財産を承継しないことを選択し、初めから相続人でなかったものとみなされる効果のある手続です。手続は申述人ごとに行うことができ、共同相続人との同意は不要です。相続放棄しようとする人は、自己のために相続が開始したことを知った日から3か月以内に家庭裁判所で手続しなければなりません。
生前の相続放棄が認められない理由
相続放棄の選択は「自己のために相続が開始してから」行うものと法律上規定されており、生前のうちに行えるとするルールはありません。
客観的には、生前のうちに将来の相続財産を確定させることは難しく、相続人にとって正確な判断をすることが困難だと考えられます。また、財産を承継するか・しないかの判断は各人のものとして尊重され、不当な圧力があってはなりません。これらの理由から、生前の相続放棄は認められておらず、あくまでも相続開始後の手続になるものとされています。
第九百十五条
相続人は、自己のために相続の開始があったことを知った時から三箇月以内に、相続について、単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない。ただし、この期間は、利害関係人又は検察官の請求によって、家庭裁判所において伸長することができる。
【相続人側】相続放棄の代案となる「遺留分放棄」とは
相続放棄は生前にはできませんが、代わりに「遺留分放棄」という手続は生前に行うことができます。遺留分放棄は、相続人が最低限受け取ることができるとされる遺産の一定割合(遺留分)を放棄する手続です。
遺留分放棄の効果
遺留分とは、相続人に法律で保障された最低限の取り分のことです。一方で、遺留分を必要としない場合は、それをあらかじめ生前のうちに放棄して、自分のもらい受けるべき財産はないとすることが可能です。
注意したいのは、遺留分を失っても相続人のままであり、相続放棄と同様の効果はない点です。遺留分放棄は、単に受け継げる財産がゼロでも許容するものであって、初めから相続人でなかったものとみなすわけではありません。そのため、あらためて相続放棄が必要となる可能性があります。
遺留分放棄の許可を得るための手続
生前のうちに遺留分を放棄したいときは、家庭裁判所の許可が必要です。許可を得たいときは、遺留分を有する相続人自身(配偶者・子や孫・父母や祖父母)で、被相続人の住所地を管轄する家庭裁判所に申立てを行います。申立にあたっては、手数料として収入印紙800円と連絡用の郵便切手(1000円~3000円程度)のほか、次のような書類が必要です。なお、下記以外にも、財産に関する書類(目録など)の提出を求められる場合があります。
- 家事審判申立書
- 被相続人の戸籍謄本(全部事項証明書)
- 申立人の戸籍謄本(全部事項証明書)
また、生前のうちに遺留分を放棄する場合、合理的理由がないと認められない点に気をつけましょう。過去には、単に被相続人と申立人が不仲というだけでは認められなかったケースもあります。遺留分は一般的に相続人にとって重要な利益だと考えられることから、慎重な審理が行われます。
家庭裁判所が遺留分放棄を許可するにあたっては、本人に審問が行われることもあります。審理が終わると、許可(または不許可)の審判が行われ、審判所謄本が届きます。その後は遺留分放棄許可証明書を取得できるようになり、これをもってほかの相続人や第三者(債権者)に遺留分がないことを示せるようになります。
遺留分放棄しても相続放棄が必要になることがある
遺留分放棄と相続放棄は異なり、遺留分を放棄するだけでは相続権があることは説明したとおりです。この仕組みによって、結局は相続放棄も必要になることが多々あります。
なお、遺留分放棄によって相続手続を免れたいときは、特定の相続人などに限定して財産を承継する旨の遺言書を準備できるとよりスムーズな手続となるでしょう。遺言で放棄しなかった人が承継する手はずになっていれば、放棄した人が相続手続に関わる必要はありません。
しかし、遺言が無効となるケースもあり、この場合には相続権を有する人全員(遺留分を放棄した人を含む)で遺産分割協議を行う必要があります。参加したくない場合は、相続放棄が必要です。
ほかには、債務の承継があるときの問題があります。このあと遺言書の作成について解説する際に詳しく触れますが、遺留分放棄をした相続人に対しても債権者の督促があるような状況下では、法的に弁済を免れようとすると、改めて相続放棄するしかありません。
【被相続人側】相続放棄に代わる3つの代案
相続放棄は被相続人の死後にしかできませんが、生前に相続人の権利を制限したり、特定の相続人に財産を集中させたりする方法はあります。本章では、推定相続人の廃除と遺言書の作成について解説します。
推定相続人の廃除
推定相続人の廃除とは、被相続人の意思で特定の相続人の相続権を剥奪する法的手続です。廃除の方法には、被相続人が生前に家庭裁判所に申し立てる方法と、遺言による方法があります。廃除の事由としては、相続人による被相続人への虐待や重大な侮辱などが認められています。
注意したいのは、廃除は相続人と被相続人の間に重大な事由がある場合の手続であり、単に相続手続の負担を避けたいといった理由や、債務の相続を避けたいといった理由では認められない点です。つまり、相続放棄の代替手段としての利用は想定されません。家庭裁判所では厳格な審理を行うため、正当な理由がない限り廃除は認められない可能性が高いです。
遺留分放棄を前提とした遺言書の作成
とくに遺留分放棄と組み合わせることで有効な対策となる遺言書での指定は、特定の相続人への財産の相続、相続人の廃除、遺言執行者の指定などができます。また、付言事項として相続人への個人的なメッセージを残すこともできますが、これには法的効力はありません。
もっとも、遺言書には一定の限界があります。たとえば、一部の相続人に全財産を残し、ほかの相続人に何も相続させないことは可能ですが、これによって債務の弁済を免れさせることはできません。債務は元来連帯して承継するもので、遺言で承継することになった人が弁済できないようなら、債権者はほかの相続権を有する人に対して督促しても構わないとされるためです。
また、遺言書に「相続放棄させる」と記載しても、その文言だけでは相続放棄の効力は生じません。付言事項扱いとなって、遺産分割の指定のように効果を生じることはないのです。
相続土地国庫帰属制度の利用検討
相続土地国庫帰属制度は、令和5年4月27日に施行された新しい制度です。この制度を利用すると、相続や遺贈で取得した土地を、一定の要件を満たす場合に国庫に帰属させることができます。これにより、管理が困難な土地や負担となる土地を手放すことが可能になります。
ここで紹介する制度のメリットは、土地に限定されますが、ほかの財産は受け取りながら要らない財産を手放すことができる点です。たとえば、自宅および預貯金は受け取り、代々受け継いできたものの使い道のない土地は手放すといった選択ができます。もっとも、相続開始後の手続が必要となるため、相続人らと相談して生前のうちの早い段階から検討しておくと、相続時の手続がスムーズになるでしょう。
生前のうちに財産を少しでも多く残す方法
相続放棄は被相続人の死後にしか行えませんが、生前に適切な対策を講じることで、相続人により多くの財産を残すことができます。考えられるのは、生前贈与、生命保険契約、家族信託といった方法です。
生前贈与の活用
生前贈与では、被相続人が生きている間に財産を贈与することで、残したい財産を相続財産から外し、相続人固有の財産として取り扱うことができます。相続放棄があっても、贈与された財産は相続人の手元に残るのです。これにより、相続放棄によって借金などの不利益な財産の承継は避けつつ、一部の財産を確保することができます。
しかし、生前贈与には注意すべき点もあります。まず、贈与税の課税問題があります。年間110万円を超える贈与には贈与税が課されるため、税負担を考慮する必要があります。また、多額の贈与は債権者を害する行為と見なされ、取消しの対象となる恐れがあるため、注意を要します。
生命保険契約の活用
生命保険契約によって生じる保険金請求権は、受取人固有の財産となり、相続財産には含まれません。そのため、相続人が相続放棄をしても、給付される死亡保険金は受取人の手元に残ります。これにより、相続放棄によって債務の相続を避けつつ、一定の財産を確保することが可能になります。
さらに、生命保険には課税面でのメリットもあります。死亡保険金には、相続税の基礎控除額とは別に、法定相続人1人あたり500万円の非課税枠が設けられています。この非課税枠を活用することで、相続税の負担を軽減しつつ、より多くの財産を相続人に残すことができます。なお、この非課税枠は相続放棄を行うと適用されないため留意しておきましょう。
家族信託の利用
家族信託は、委託者が信託財産の管理処分権を受託者に委ね、その利益を受益者が受け取る仕組みです。家族信託の大きな特徴は、信託財産の独立性です。家族信託に組み込んだ財産は、誰のものでもない財産として扱われます。信託契約は受託者や受益者が相続放棄をしても継続し、信託が終了したときは、あらかじめ指定された帰属権利者が相続放棄の有無とは無関係に残余財産を受け取れます。
信託財産の独立性には、もう1つ重要なメリットがあります。それは、委託者が生前に破産手続を始めたとしても、信託財産には破産の効果が及ばないことです。これにより、将来に向けて財産を確実に残すことができます。
ただし、注意点もあります。とくに注意したいのは、受益者が死亡した場合の取り扱いです。信託契約で特別な指定がない場合、受益権は相続によって承継されます。その受益者が相続放棄をすると、受益権を受け継ぐことができなくなる可能性があります。このような事態を避けるため、信託契約の設計には細心の注意が必要です。
相続放棄の手続
相続放棄は、相続人が被相続人の権利義務を一切引き継がないことを選択する重要な法的手続です。しかし、その手続には厳格な期限や方法が定められており、適切に行わなければ効力を持ちません。本章では、相続放棄を正しく行うための申述期限、申述方法、必要書類について詳しく解説します。
相続放棄の申述期限
相続放棄の申述は、すでに説明したとおり、相続開始を知った日から3か月以内に実施しなければなりません。期限内に相続放棄の申述ができない場合、期限の延長を申し立てることができます。延長の申立ては家庭裁判所に対して行い、相当の理由がある場合に認められます。たとえば、相続財産の調査に時間がかかる場合や、相続人の健康上の理由などが考えられます。
相続放棄の申述方法と必要書類
相続放棄の申述は、被相続人の最後の住所地を管轄する家庭裁判所に申述書を提出することで行います。必要なものには、収入印紙800円分と連絡用郵便切手のほか、次のような書類があります。なお、配偶者や子の場合は「被相続人の死亡の記載のある戸籍謄本」で済むなど、申述人と被相続人との関係性によって異なります。
- 相続放棄申述書
- 被相続人の住民票除票(または戸籍附票)
- 申述人の現在の戸籍謄本
- 相続関係を証明する戸籍謄本
申述後の流れとしては、家庭裁判所から受理通知書が送付されます。この受理通知書は、相続放棄が受理されたことを証する書類です。債権者からの請求があった場合など、必要に応じてこの通知書を提示することで、相続放棄の事実を証明できます。
相続放棄しても管理義務は残る点を確認する
仮に全員が相続放棄をした場合でも、相続財産に対する管理義務は一定期間残ることを理解しておく必要があります。具体的には、相続財産の価値を維持し、不当に減少させないよう注意を払う必要があります。たとえば、家屋の管理や必要最小限の修繕、固定資産税の支払いなどが求められる場合があります。
この管理義務から完全に解放されるには、相続財産管理人の選任を家庭裁判所に申し立てる必要があります。相続財産管理人が選任されれば、相続放棄者の管理義務は終了し、以降の相続財産の管理は相続財産管理人が行うことになります。ただし、この申し立てには費用がかかるため、相続放棄が選択肢に入る場合にはこの点も考慮に入れる必要があります。
相続放棄以外の方法を用いる場合の注意点
相続放棄以外の方法を用いる場合には、生前の早いうちに状況を整理し、有効な対策を慎重に見極めましょう。気をつけたいのは、相続放棄を完全に防ぐことはできず、将来のあらゆる可能性を考慮しておきたい点です。
相続放棄の理由となる事情について整理する
相続放棄を検討する際は、まずその理由となる事情を具体的に整理することが重要です。多くの場合、債務の存在や相続手続の負担が理由となりますが、その詳細によって最適な対策が異なります。具体的には、次のようなケースが考えられます。
住宅ローンの返済が終わっておらず、預貯金が少ないケース
このケースでは、まず団体信用生命保険の有無を確認することが重要です。団体信用生命保険に加入していれば、被相続人の死亡時にローンが完済される可能性があります。保険が適用されれば、債務の問題は解決し、相続放棄そのほかの対策の必要性が低くなります。保険がない場合でも、不動産の価値がローン残額を上回っているかどうかを確認します。上回っていれば、不動産を売却してローンを返済し、残額を相続することも検討できます。
債務と家業財産を承継予定だが、ほかの相続人に弁済請求される懸念がある
この場合、遺産分割協議書や遺言書で債務の承継者を明確にすることが重要です。ただし、これだけでは債権者からの請求を完全に防ぐことはできません。この場合は、債務承継者以外の相続人が相続放棄をすることで、債務への責任から完全に逃れることも考えられます。ただし、この場合はプラスの財産も相続できなくなるため、慎重な検討が必要です。
債務や事業承継などの生前対策は専門家に相談を
相続放棄の手続は、被相続人と相続人のどちらの意思であっても、生前のうちに行うことはできません。代替案として遺留分放棄と遺言書の作成を組み合わせる方法がありますが、とくに債務があるケースでは有効な方法とは言えません。生前のうちに少しでも財産を多く残す方法としては、相続土地国庫帰属制度の利用、生前贈与、生命保険契約、家族信託などがあります。
当事務所では、事業や住宅購入に伴う債務があるケースや、特定の相続人に財産をすべて承継させたいケースにおいて、残された家族の負担を軽減できる生前対策を提案しています。不明点や疑問があるときは、気軽にご相談ください。