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損害賠償債務は原則として相続放棄できる
損害賠償債務とは、法律上または契約上の義務に違反して他人に損害を与えた場合に、その損害を填補する責任を指します。亡くなった人(被相続人)の財産を相続する際には、未払いの損害賠償債務も相続財産に含まれることになります。
ただし、相続放棄を行うと損害賠償債務の責任を回避することが可能になります。まずは、損害賠償債務や相続における基本的な考え方を整理しましょう。
損害賠償債務とは
損害賠償債務とは、他人に与えた損害について責任を負っていることを前提に、実際に金銭で補償する義務のことです。契約違反、不法行為、過失責任など、さまざまな形があります。
損害賠償債務が発生する例
- 貸し付けられた金銭を約束どおりに返せなかったとき(遅延損害金)
- 取引先と契約締結した場合で仕事が果たせなかったとき(契約不適合責任)
- 交通事故の加害者となり、人的・物的被害が生じたとき
- 不動産の維持管理を怠り、近隣住民に被害が生じたとき
損害賠償債務の額は、当事者のあいだで交わす合意書・示談書や、裁判を起こして得られた和解調書・確定判決などに記載があります。その金額は、相手が法人である場合や、人的被害が出ているときに高額化しがちです。交通事故の例では、数百万円から数千万円に及ぶことも少なからずあるでしょう。
損害賠償債務も相続の対象になる
相続は亡くなった人に属する一切の権利義務を相続人が引き継ぐことを指します。対象は預貯金や不動産などのプラスの財産だけでなく、マイナスの財産も対象です。マイナスの財産のなかには、損害賠償債務も含まれます。したがって、損害賠償債務についても、承継することを放棄する意思を示さなかった場合、本人に代わって相続人が果たすべきものとなります。
相続放棄の効果と損害賠償責務の関係
相続放棄とは、本来であれば相続人に承継される権利および義務につき、家庭裁判所での申述を経て承継しないものとする手続です。申述が受理されると、その人は初めから相続人ではなかったものとみなされ、損害賠償債務を含むほとんどの財産の承継から解放されます。
手続の検討にあたっては、次の3点がポイントです。
- 損害賠償債務を含めた負債を上回るプラスの財産はないか
- 相続放棄するにはどんな条件を満たす必要があるのか(手続できる期間など)
- 被害者の対応はどうすればいいのか
以下では、相続放棄するか否かの判断基準から順に押さえていきましょう。
損害賠償債務があるときの相続放棄の判断基準
相続放棄では、亡くなった人の貯蓄や所有する土地・建物といった財産を手放すことにもなります。損害賠償債務だけに着目するのではなく、以下のような基準で慎重に判断するようにしましょう。
プラスの財産がほとんどない場合は相続放棄が適切
相続放棄が適しているのは、債務超過の状態、つまり資産より負債(損害賠償債務を含む)が多い場合です。たとえば、預貯金および不動産などの資産の合計が1000万円、負債として損害賠償債務が1500万円が存在する場合、承継すると500万円の赤字となるため、相続放棄するのが適切だと言えます。
相続放棄を決める前に相続財産を調査する
相続放棄が適しているかを正確に判断できるのは、亡くなった時点で本人に属するプラスの財産に対して負債が大きく上回っているときです。相続財産の内容は、遺品整理や生前得た情報からだけではなく、積極的な調査によって把握しなければなりません。
とくに、プラスの財産の見落としには注意しましょう。見落とすケースとしてよくあるのは、以下のような場合です。
- 無通帳口座にある預金残高に気付けなかった
- 海外(国外の預金口座など)にある資産に気付けなかった
- 自宅に権利証がないせいで、所有する不動産の一部に気付けなかった
- 自宅にある家財道具の価値がわからなかった
- 事業で使用していた財産の価値がわからなかった
預金口座に関しては、入出金明細にあるお金の流れや、銀行での全店照会などで口座開設状況および残高について把握しておきましょう。不動産については、権利証がなくとも名寄帳などで所有状況を確認できます。
限定承認を選択したほうが良い場合もある
限定承認とは、資産の範囲を限度として負債を承継する制度です。権利義務の承継を受け入れる場合(単純承認)と相続放棄のほかにある第三の選択肢として、件数は少ないものの選択されることがあります。
たとえば、1000万円の資産に対して損害賠償債務などを含む1200万円の負債があるケースでは、資産で負債を清算する手続が必要となるものの、手続後なお残る200万円の負債について弁済義務を受け継ぐことはありません。
この制度が適しているケースとしては、次のようなものが挙げられます。
- 相続財産の価値が債務を上回っている、または同程度である場合
- 債務の総額が確定していないが、将来高額になる可能性がある場合
- 家族の思い出が詰まった品々を手元に残したい場合
限定承認の手続では、裁判上での財産の清算のため半年程度かかることや、共同相続人全員の合意が必要となる点に注意しましょう。ほかには、相続放棄と同じ手続期限がある点にも留意したいところです。
損害賠償債務を相続放棄できる期間と手続方法

相続財産を受け取るか相続放棄するかは、「熟慮期間」のあいだで判断しなければなりません。なお、この期間中に相続財産を受け取る手続などを行うと、単純承認(法定単純承認)に該当するため注意が必要です。また、期限内に相続放棄の手続をしない場合においても、単純承認となります。
原則上は相続開始から3か月以内
熟慮期間とされるのは、相続人が相続の開始および自分が相続人であることを知ったときから3か月以内です。放棄する場合は、期限が来る前に相続放棄申述書を家庭裁判所に提出しなければなりません。すでに述べましたが、限定承認する場合も同様です。
熟慮期間が延長されるケースと手続方法
損害賠償債務があるケースでは、相続財産の調査や金額の確認のため、相続放棄の手続が遅れてしまうことがあります。このような場合には「やむを得ない事由」を説明することで、あらかじめ相続放棄できる期間を延ばすことが可能になります。
この延長手続は「相続の承認又は放棄の期間の伸長」と呼ばれる方法で実施できます。申請先は亡くなった人の最後の住所地を管轄する家庭裁判所となり、必要書類として以下が挙げられます。
放棄の期間の伸長で主に必要になる書類
- 申立書
- 被相続人の住民票除票の写しまたは戸籍附票
- 伸長を求める相続人の戸籍謄本
- 利害関係を証明する資料(相続人以外の関係者が申し立てる場合)
なお、被相続人などの戸籍謄本を用意する場合は、相続人との続柄によって揃える内容が異なります。以下ではケースごとによって必要になる書類を紹介します。
配偶者の場合
- 被相続人の出生から死亡までの戸籍謄本
子・孫の場合
- 被相続人の出生から死亡までの戸籍謄本
- 相続人の親の死亡記録がある戸籍謄本
父母の場合
- 被相続人の出生から死亡までの戸籍謄本
- 子や孫の出生から死亡までの戸籍謄本(子や孫が既に死亡している場合)
祖父母の場合
- 被相続人の出生から死亡までの戸籍謄本
- 子や孫の出生から死亡までの戸籍謄本(子や孫が既に死亡している場合)
- 父母の出生から死亡までの戸籍謄本
きょうだいの場合
- 被相続人の出生から死亡までの戸籍謄本
- 子や孫の出生から死亡までの戸籍謄本
- 父母・祖父母それぞれの死亡記載がある戸籍謄本
甥・姪の場合
- 被相続人の出生から死亡までの戸籍謄本
- 子や孫の出生から死亡までの戸籍謄本
- 父母・祖父母それぞれの死亡記載がある戸籍謄本
- きょうだいの死亡記録がある戸籍謄本
損害賠償額が未確定の場合はどうするか
相続放棄は債務額にかかわらず手続できます。示談や裁判が終わっておらず損害賠償債務の金額が確定していないとしても、プラスの資産を上回ることがほとんど決まっている状態であれば、相続放棄を進めてもよいでしょう。この相続放棄の効果は、将来確定する債務にもおよびます。
悩ましいのは、損害賠償債務などの負債が資産を下回る可能性があるケースです。この場合は、放棄できる期間を延ばして確定を待つか、限定承認するか、いずれかの方法を検討しましょう。自己判断に迷った場合は専門家へ相談することをおすすめします。
損害賠償債務を相続放棄する場合のポイント
損害賠償債務を理由とする相続放棄では、残る問題として「被害者への対応はどうするか」があります。請求されたときにどうするか、支払う場合はどのように判断するのか、慎重に検討しなくてはなりません。ほかには、相続放棄を行わなかった場合のことも念頭に置きたいところです。
請求されても放棄予定なら応じる必要はない
相続放棄を予定している場合、被害者から損害賠償の請求を受けても、その支払いに応じる必要はありません。手続後に家庭裁判所から発行される「相続放棄申述受理証明書」を債権者に提示すれば、法的に支払い義務がないことを証明することが可能です。証明書が届かないうちは、相続放棄の手続中である旨を通知しましょう。
被害者対応で避けたいのは「金額に合意する」または「支払いの約束をする・一部支払ってしまう」などの対応です。こうした対応は、負債を受け入れたとみなされ、単純承認と同じ扱いとなり、相続放棄できなくなる可能性が高まるため注意しましょう。
自分の財産で損害賠償することは可能
相続放棄をしても、相続人の個人に属する財産から任意に損害賠償金を支払うことは可能です。ただし、亡くなった人に属する財産から支払ったと判断されるような対応は避けた方が無難です。最悪の場合は、単純承認とみなされ、やはり相続放棄できなくなる確率が上がります。
一度支払った損害賠償金は返還請求不可
相続放棄の前に損害賠償金を支払ってしまった場合、その返還を求めることは原則として不可能です。支払い当時、法的な支払い義務があると考えて行った弁済は、あとで相続放棄をしたとしても「債務の弁済」として有効とされるためです。
もし、支払いを求められた場合は、自身の相続財産やそのほかの状況を照らし合わせて対応を検討するとよいでしょう。
放棄しても免れない債務もある
相続放棄をしても免れない特殊な債務が存在します。これらは被相続人の債務ではなく、相続人自身の責任に基づくものです。
共同不法行為責任
亡くなった人と相続人が共に不法行為(交通事故などの損害賠償責任が発生する行為)に関与していた場合、どちらについても被害者に賠償する義務が生じます。この場合の責任は連帯して負うものとされ、亡くなった人について相続放棄しても依然として残ります。
保証債務
金銭の貸し付けなどにおける保証人には、借り入れをした本人が返済できなくなった際に支払いを負担する義務(保証債務)があります。亡くなった人が保証人となっていた契約については、保証債務の相続放棄が可能です。一方で、亡くなった人が借り入れをして子が保証する場合など、相続人が保証人となっていた契約については、相続放棄の効果がおよびません。
相続放棄できず自己破産する場合の取り扱い
相続放棄できず債務を抱えてしまった場合の最後の手段は「自己破産」です。自己破産では、破産者の財産をできるだけ処分し分配したうえで支払いが免除されます。
このとき注意したいのは、損害賠償義務の免責が認められない場合もあることです。以下の条件にあてはまって生じた場合には、自己破産しても支払いを免れられません。破産手続が有効だといえるのは、原則として「損害賠償債務以外の支払義務が重い場合」です。
免責されない損害賠償義務の条件の一例
- 悪意で加えた不法行為に基づくもの
- 故意または重過失により加えた、人の生命または身体を害する不法行為に基づくもの
【例】飲酒運転で人にケガをさせた場合
刑事責任を負うほか、示談や民事訴訟で治療費などの損害賠償債務を負うことになります。運転の状況から故意または重過失であると認められることから、自己破産で責任を免れることはできません。
相続放棄するときの主な注意点
相続放棄するときは、原則として撤回できないことや、相続財産に手をつけないことを意識するなど注意が必要です。
相続放棄は各人で行う必要がある
相続放棄の手続は、各相続人の判断で行うべきものとされます。合わせて、複数の相続人がいるなかで特定の1人だけが相続放棄すると、本来その人が受け取るはずの権利および義務(損害賠償債務を含む)はほかの相続人に移転します。
損害賠償債務やそのほかの負債が多いケースでは、誰が承継するにしても損になるのは明らかです。このような場合は、できるだけ放棄する前にほかの相続人と情報共有を行い、全員同時に手続を進めるようにすることが大切です。
相続放棄の撤回は基本的に不可
相続放棄が家庭裁判所で受理された後は、原則として撤回できません。例外的に撤回が認められるのは、錯誤(重要な事実の誤認)や詐欺、強迫によって相続放棄をした場合に限られます。これは証明が難しく、現実的ではありません。
本当に相続放棄すべきか迷うときは、先に解説した期間の伸長の手続を行うなどを優先しましょう。
相続財産の処分にあたる行為はしない
権利および義務の承継を受け入れた(単純承認)とみなされて相続放棄できなくなる行為には、債務に関して合意を交わす・支払いに応じるなどのほかに、相続財産の処分が挙げられます。損害賠償に応じること以外については、以下のような行為に注意しましょう。
- 預貯金を引き出す
- 土地・建物について売却の約束をする
- 遺品(特に高額なもの)を処分する
- 生前の生活費や医療・介護費用を精算する
判断に迷うときは、あらかじめ司法書士などの専門家の意見を聞くと安心です。
損害賠償債務の相続放棄でお困りなら当事務所へ
相続放棄は亡くなった方の負債や損害賠償債務などから解放される有効な手段ですが、3か月という限られた期間内に手続を申述させる必要があります。債務超過の状態では相続放棄が適切ですが、プラス財産がある場合は限定承認も検討すべきでしょう。また、相続放棄後は原則撤回できないこと、放棄しても免れない特殊な債務があることにも注意が必要です。
当事務所では、相続放棄でお悩みの方に対し、財産調査から手続まで一貫してサポートしています。亡くなった人の財産状況などの判断に迷うときは、ご相談ください。